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つなカンニュース

【つなカンミーティング】金子先生と話そう![内容掲載]

[2022年12月09日]

12月3日(土)、長野原町へき地診療所の金子先生と地域医療について話をするつなカンミーティングを開催しました。今回初めてつなカンの催し物に参加してくださった方が多数おり、町民の町の医療についての関心の深さを感じました。
今まで長野原町へき地診療所には足を運びにくかったという移住者の方からも、今度何かあったら行ってみますとのコメントもありました。
個人の病気の相談等もあり、金子先生との距離も縮まり、町の医療に希望が持てる会となりました。

——————以下、ミーティング内容——————

①≪金子先生自己紹介≫

昭和59年生まれ。長野原に来る前は群馬大学の救急にいた。3年間の予定だったが長野原町にやりがいがあると気が付き延長。患者さんの話を良く聞くようにし、何を必要としているのかを考えてきた8年。今年の3月には脳梗塞になったが今は後遺症もない。

・金子先生の資格、お仕事
医学博士。専門はなし。メインはプライマリケア認定医(総合診療医)。
臨床内科認定医、スポーツドクター(健康教室アマチュア選手の健康診断)、協力難病指定医(難病の更新の申請)、ケアマネジャー、認知症サポート医、終末ケア専門士、かかりつけ医、産業医。
看護学校講師、介護認定審査会の認定審査、群馬県保健医協会の理事、学生指導、自治医科大学臨床講師、警察医(自宅で死亡し事件性がなかった場合の検案)
一般外来診療、訪問診療、予防接種(小児、コロナ等)乳児検診、学校医(応桑小、西中、応桑こども園)、講演、講義等

Q:先生の一週間(例)を教えてください。

月曜:午前外来→昼休みに訪問診療→午後外来→西吾妻福祉病院で当直(月1度程度)
火曜:西吾妻福祉病院外来、内視鏡等→午後コロナワクチン接種→介護認定審査会
水曜:午前外来→午後外来→夜オンライン会議をすることも多い。
木曜:午前外来診療→午後訪問診療
金曜:午前外来診療→午後外来診療、夕方訪問診療
土曜:午前外来診療→午後コロナワクチン接種
日曜:休日当番医、または休暇

※前橋のご自宅と長野原町を行き来しているが、在宅で具合の悪い方や看取りの方がいる場合は1週間~2週間官舎に寝泊まりしていることもある。

Q:資格の勉強はいつしているのですか?
夜家で暇な時や、バックに本を入れて持ち歩き、時間がある時に勉強している。

Q:脳梗塞の前兆などはありましたか?
左手が重く、震えもあった。1時間ほど様子を見たが治らないので診療所に戻り血圧を計り、そのまま病院に行き、入院となった。
病変が小さかったので後遺症もなく、完全に回復した。診療所のスタッフ、役場職員、患者さん、皆さんにはご迷惑をかけた。

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②≪診療所の取り組み≫
皆さんの「かかりつけ医」になりたいと思っている。
様々な診療科をかけもちしている場合、それをまとめるのがかかりつけ医だと思っている。不調があった時に最初に症状を聞く医者として使ってもらいたい。何かあった時に頼りにする人がかかりつけ医だと思って頂くと良い。

・プライマリケア(総合診療)
小児から高齢者まで。内科系一般の疾患はお任せください。
※整形外科疾患や皮膚科疾患も要望により診察し、必要な処置はするが、基本的には専門医に送る。
診療所における過去の対応 ― 肩関節脱臼を治す、チェーンソーなどで切ったなどの皮膚縫合(深い場合皮膚のみで整形外科に送る)。関節内注射、等。
心筋梗塞の患者を診断し、ドクターヘリで送り自分も救急車でついていったこともある。蜂に刺されたことによるアナフィラキシーショックのアドレナリン注射(その後福祉病院で入院)
診療所を医療のコンビニみたいなもの(百貨店ではない)として使ってもらえばよいと思っている。痛み止めの処方や、風邪薬の処方など、小さなことでも気軽に相談できる場所として使ってほしい。

診療所の患者も1日40人くらいに増えた。2021年度は患者数7130人。訪問診療は250件で、平均して一日1件以上は訪問診療に行っている計算となる。

・診療所の体制―医者1人・看護師3人(正看護師1人准看護師2人)・事務2人
・診療所でできる検査―レントゲンの検査・超音波検査・
・新たに始めた土曜診療
赴任して3か月目で、患者さん満足度アンケートを取った。その結果でスタッフや役場の賛同をもらい土曜診療を開始し、現在は平均25人ほどの安定した患者数。第2、第4土曜日は診療をしている。
・新型コロナウイルスの対応―プレハブを建て、その中で診療。
長野原町は県内で初のワクチンスタートだった。接種率も高い。

Q:何科を受信して良いか分からない時はどうすればよいか。
→迷ったら診療所に来てください。必要があれば往診もします。

Q:救急車はへき地診療所には行かないのか?一人暮らしなので遠くに運ばれると帰れない。
入院や専門の設備が必要な場合などは診療所にはいかない。診療所には医者が一人しかいないので、通常はマンパワーがあるところに搬送する。
※帰りの心配がある場合は役場に相談することができる。

・地域包括ケアシステム
住み慣れた地域で完結(最後まで療養や介護を受けられる)できるようにするシステム。
自宅に住みながら、介護施設(デイサービス・ショートステイ)を利用し、生活支援や介護予防をする。病気になったら入院、退院して慢性期になったら通院。
本人の選択との本人・家族の心構えがベースにあり、そこに家と住まいという土台ができる。そこに介護予防や生活支援という土壌が敷き詰められた上に医療、介護、保険、福祉、リハビリテーションという葉が育つというイメージ。
今後は自宅で最期を迎える人が多くなる。また元気な高齢者も多くなるので、生活支援のサービスや高齢者の社会参加も充実させるべきだと考えるので、役場と交渉しながらやっていきたい。
いざとなったらどういう治療や介護を選択するか等を、家族や周りの人と考えるアドバンスケアプランニング(人生会議)をすることが大切。

医療は衣食住のような最低限必要なものではなく、皆さんがより豊かに生きるためのもの。医療者はその方の人生の助けになることができれば良いと考えている。

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③≪在宅医療≫ 

癌、高齢者、認知症、難病ALS、血液難病など様々な病気の方の在宅医療をした。途中で入院や施設に入るケースもあり、最後まで在宅でいられた患者さんは7年半で29件。
訪問看護ステーション(西吾妻福祉病院の「えがお」、鎌原の「のぞみ」)と24時間365日連絡を取っている。
赴任するまでは長野原町の在宅の看取りは0だったが現在は30件ほど。年々質はあがっていると思う。選択できるということが大切。看取りは年間3~4件。平均年齢84歳(55歳から105歳)。北軽井沢が一番多く12件。鎌原6件、応桑3件。
佐久総合病院・医療センター、浅間病院なども連携しているので、そこからの紹介で癌患者の看取りも増えた。
要介護5の方が最多。要介護5は全て介助が必要な状態。それをご家族が家で担っているというのはすごいことである。
患者さんがおだやかに生活できることを常に考えている。心地よい環境ややり方を話し合い、それを整えることが自分たちの役目。
NPO法人吾妻医療アカデミーから「私の意思表示帳」が出ており、自信の考え方をまとめることができる。※社会福祉協議会で入手可。

・在宅医療(看取り)でできること
痛みを取る(麻薬も使用可。病院は点滴が多いが、シールや飲み薬もある)。換気や体勢などの環境指導。中心静脈点滴で栄養を入れる。等
病院の医療をそのまま在宅に持ってくるのとは違う。医療者の目が24hあるわけではなく、高度な機材も使えないが、自宅にいることによる安心感で病状が良くなることもある。

―出演・執筆など―
上毛新聞のオピニオン、広報ながのはらで記事を連載。
郡テレ「ぐんま一番」、Webサイト「マイナビレジデント」で連載。
自治医科大学のパンフレット。中高学校で講演。

医療、介護、福祉の隙間を埋めるような活動をしたい。

Q:看取りについて
家族の理解がないと在宅で最期を迎えるのは難しい。帰りたくても帰れない人もいるので、訪問看護ステーションとつながり、最期に1週間だけでも家に近い雰囲気で過ごせる施設があると良い。
→現在は病院72%、自宅15%。サービス付き高齢者住宅、特別養護老人ホーム、地域密着型訪問介護(ヘルパーが1日数回見守りに来て、最期を迎える)、などの選択がある。

Q:子供に対しての医療が充実していないと感じる。親世代が安心して子育てできる環境がほしい。
小児科がないと町に子供が少なくなる。救急など、小児を受け入れらない事情がある場合もある。抗生剤の可否、入院が必要なのかどうか、など判断できる医師が必要。そういった町医者を育てていきたい。

Q:応桑小に移転する話があるが、その際地域の人が集まれる場所が作れると良い。託児所などもできると良い。
→仕事を休まなければならない保護者の代わりに病気の子どもを看られる病児保育ができると良いと思う。

Q:救急医療という職場は刺激があったと思うが、穏やかなへき地診療所で8年もいてくださる要因は?
救急は夜が忙しいが、診療所は昼間が忙しい。目の前の患者さんの笑顔が見られるのが幸せ。

Q:長野原町の良さはどこですか?
雰囲気、人の温かさ、町長との接しやすさ、浅間山がきれい等。なんとなく馴染んだ。自分を理解してくれる人が多いことがやりがいとなっている。
続けた後にいろいろなものが見えてきそうな希望がある。皆に笑顔になってもらうために人を巻き込み、もっと力を発揮していきたい。

 

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④≪これからの長野原町での医療について≫
応桑小学校に診療所が移転する話がある。医療と介護が完結する拠点となり、他の様々な職種へと広がっていくようにできたら良い。
皆が集える場所にもなり、一人暮らしの人が具合悪そうにしている等の情報が保健師や地元の人に伝わるようになると良い。
診療所は細かな医療サービスを隅々まで行きわたらせる活動をしていきたい。
まずは、今までやってきたことを強化していくところから続けていきたい。

Q家での看取りができるということが知れたが、家族はどんな心構えを持てば良いのか。
場所の問題だけでなく、家族、お金、延命の希望など、実質的なことなど考えることがあるだろう。亀田総合病院「もしバナゲーム」というのもある。考えるきっかけとなるだろう。
病気をすると価値観も変わる、年齢や状況に応じて家族、主治医、身近な人と共有、相談し、納得しながら各ステージで調整して決めていくというのが人生会議。
ステージ
⑴健康な人 ⑵認知症、加齢 ⑶終末期

Q今後様々取り組む中で、先生一人では大変だと思うが、今後はどう考えているのか。
→これからは後輩などいろいろな人の教育をし、協力していきたい。

Q応桑小学校の跡地に診療所を移すのが遅延した場合等も心配している。先生にはぜひ長くいてほしい。
→僕はいたいと思っている。この7年半で皆さんに信用頂いているということは光栄なこと。頑張っていきたいと思う。

 

 

 

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